当時ヨーロッパの貿易会社の多くが極東やインドを舞台に活動していたことや、1740年代から続く「啓蒙時代」の影響などが刺激となって、この時代に再びシノワズリ人気が復活しました。自然や戸外の美しさと結びついた牧歌的なテーマが現れるようになり、ブーケやガーランドといった花を正確に描いた柄が流行しました。
英国では世界から持ち帰られる新種の植物に対する人々の関心の高まりを受け、織物やプリント生地の柄にも反映されました。フランスは東洋や自然を幻想的に捉えたデザインが多いのに対し、イギリスのプリントは自国に「帰化した」柄になっています。
プリントのヒントになった柄は、モスリン、キャラコ、シルクの全てで展開されています。
18世紀後半に礼装の一つであったフロック・コートにあしらわれていた柄を描き替えたものです。コートにはメタリック・ヤーンの入った厚手のシルク地が使われていました。太い糸が上に載せられていたシルク地の立体感を強調するために、鉛筆で手描きした柄です。
18世紀に飾り気のない無地のコットン・キャラコは多くの人々に洗濯の利く耐久性に優れた素材として広まりました。この柄は折り畳んだキャラコをもとに描かれています。畳んだメタルやフォイルをグワッシュで色付けすることで、18世紀の経済や社会の変化に大きな役割を果たしたこの素材の質感と丈夫さを表しています。
18世紀のコットン・キャラコにインド式ブロック・プリントとハンド・プリントをした柄をヒントにした柄です。この2つの手法は、当時布を飾る方法として広く使われていました。
デザイナーのアナ・スイが選んだ柄で、1974年のアーカイブ柄「チャイニーズ・ガーデン」がもとになっています。リバティには1879年から1950年にかけてのオリエンタリズム様式の柄が多くあります。アナは厚手のシルク地の中に18世紀のヨーロッパ人の中国に対する幻想を見出しました。英国ではシノワズリ様式(中国趣味)やエキゾチックな東洋のものへの熱が高まり始めたのは1770年代でした。
メトロポリタン美術館で開催されたテキスタイルの世界的展示会「ザ・インターウォーヴン・グローブ:(相互に織りなす地球)」」でも18世紀の女性のドレスや男性のローブや肖像画などが取り上げられていました。この展示会からのインスピレーションをもとに、アナはリバティ・アーカイヴからの最後の柄を選びました。この柄の名前は、明王朝を題材にした湯顕祖(とうげんそ)の劇の題名に因んで付けられています。
世界的に有名なアナ・スイのファッション・コレクションは人々を創造の旅へと導きます。古いヴィンテージ・スタイルと現代の文化的妄想が混ぜ合わさり、いとも簡単に、ヒップで独創的な衣服が生み出されます。ファッションの時代を歴史的に捉えた今回のコレクションにとって、何をするにも物事の背景のすべてにまで深い関心を持つアナは、最適な人選となりました。
ジョン・マルコヴィッチ自らが描いたオリジナル柄で、「黒髭」シリーズのロケの撮影中の忙しいスケジュールの合間をぬって制作されました。ジョンはオスカーにノミネートされたこともある俳優であると同時に、映画や舞台で監督やプロデューサーを務めています。映画では「危険な関係」、「マルコヴィッチの穴」、「ザ・シークレット・サービス」、「太陽の帝国」などに出演しています。
その一方、「テクノボヘミアン」という名のメンズウェア・ラインのデザイナーでもある彼は、コレクションの中にリバティの柄を多く取り入れています。この柄は、ある映画の衣装合わせの際に見つけた端切れの柄を参考にしたデザインで、グランサム・ホールはケント州にある英国式のマナー・ハウス(領主の邸宅)です。芝生に座るクジャク柄は、当時プリント柄として鳥が流行っていたことを示しています。
フィンランドのヘルシンキ出身のイラストレーター兼グラフィック・デザイナーのロッタ・ニーミエンが制作した柄です。ロッタは、ファッション誌「トレンディ」やペンタグラム・デザイン、ロアンコ・スタジオなどで働いた後、今では自分のニューヨーク・スタジオを開設し、運営しています。
2010年にはアート・ディレクターズ・クラブ・ヤング・ガンズ賞を受けたのをはじめ、数々のデザイン関係の賞に入選したり、最終選考に上がったりしています。彼女のクライアントにはエルメス、フォルクスワーゲン、モノクルなどが名を連ねています。
今回の課題に強く興味を惹かれたロッタは、彼女のお気に入りのBBC番組「高慢と偏見」の中の衣装を研究しました。彼女はまず登場人物を絞込み、その人たちが気楽に着て歩き回れるような服を作りました。花と動物に満ちた庭園の柄に合うように、背景には当時の服に使われていた図柄をアレンジしたものにしました。
18世紀のモスリンのエプロンからヒントを得た柄です。エプロンには花をスプレーしたような柄に加え、可愛いボーダー柄があしらわれていました。この柄は鉛筆を使って一面に小花柄を手描きし、エプロンの柄の動きを反映しています。
18世紀にモスリンのドレスやスカートに施されたプリントの柄に目を通す中から生まれたものです。1930年代のブロック・プリントされた「タペストリー・スプレー」の柄を参考にして、鉛筆とグワッシュを使って描き替えられました。
当時、モスリンのドレスやスカートのモチーフとして小さな花のブーケが再三登場していたことから、このデザインを参考に選びました。
1700年後半のウィリアム・キルバーンによる柄からヒントを得ています。この頃、キルバーンはモスリンに多くの柄を描いていましたが、とりわけ多かったのが、豊かで暗い色地にコントラスト色を使って描く花柄でした。この審美眼に適うように、花は水彩を使い手描きした後に、濃い地色を加えました。