アーサー・ラセンビィ・リバティは、1884年に始めた「コスチューム・スタジオ」を通して、20世紀初頭のファッション・デザインに大きな影響を与えました。
彼は「町の仕立て屋ではリバティのしなやかな生地を使っていい加減に服を作ってしまう」ことに強い懸念を抱いていました。そこで、E.W.ゴッドウィンがドレスのデザインを任されることになりました。スタジオはお洒落の教育の場となり、デザイナーたちは過去の衣服にインスピレーションを求めて集まるようになり、パリのファッションには追随しない、センスのよい装いを提供するようになりました。日本からの商品に本来の美しさと繊細さがないという顧客からの訴えがきっかけとなり、リークのトマス・ワードルにリバティ向けのアート・ダイで染めた一連の商品の生産を依頼しました。
リバティ・スタジオと、オリエンタリズム志向のポール・ポアレの作品や、アンピール・ラインをはじめ女性のコールセットなどを排除したポアレやヴィオネットたちは深い関係があります。中でも日中着と夜会服がひとつになった様式のドレスは、唯美主義や「ザ・カルト・オブ・ビューティー(美の礼賛)」とも関連し、古典や、中世、ルネサンスの衣服から着想を得たものです。やがて唯美主義なドレスはファッションの主流になり、色はグリーンと並んで落ち着いたマスタードやレッドやブルーなどが好まれるようになりました。リバティ生地の柔らかさとドレープ性は画期的で、いつしかリバティの生地といえば、薄手でしなやかなシルクが連想されるようになりました。
このグループのデザインは、かつてランカシャーでインディゴ・プリントされた見本帳にあったシルクをもとに、アール・ヌーヴォーのリバティ流の解釈を加えて制作したものです。他には20世紀に生地小売として様々な用途に使われたリバティの人気柄も含まれています。
東洋の生命の樹からとったデザインです。リバティはもともとオリエンタル・エンポリウム(東洋の百貨店)として開業した経緯があり、またリバティ・アーカイヴに収められている多くの柄の様式がそうであることからも、このオリエンタル・ツリー・オブ・ライフはまさにリバティの代名詞ともいえるデザインです。このデザインは1930年代のもので、かつてはインテリア用のプリント柄でした。
かつてリバティ・スタジオでも配色をハンド・ペイントで行うのが当たり前だった時代を表現した柄で、当時の全ての柄同様、1990年代初期に購入された資料をもとにしています。実際にハンド・ペイントされた配色が使われています。
リバティが名声を博した美しい織りやブロケードを表しています。「ネクタイ」用に織った生地からとった配色で、リバティのクラシック・デザインのひとつであるペッパーを参考にした柄になっています。